映画版「砂の器」の楽譜、発売中・・・菅野光亮先生のこと

つい先日もTVドラマの「砂の器」がOn Airになったばかりですが(私はまだ観ていませんが)、
数年前にもSMAPの中居正広さん主演でドラマ化されたり、
松本清張原作の「砂の器」は人気の高い作品です。

1974年には映画版の「砂の器」も制作され、
日本の映画史上に残る名画の一つに評価されているようです。
この映画版「砂の器」は私にとっても格別のものです。
何故なら、私の恩師、菅野光亮(かんの みつあき)先生が音楽の作曲をされたからです。
ミステリー仕立ての物語でありながら、主人公が音楽家であったことから、
音楽映画的な要素も持ち合わせた作品のように思います。
その音楽、ピアノ協奏曲「宿命」も高い評価を受けました。
この映画の中で主人公役の加藤剛さんの吹き替えでピアノを弾いていらっしゃるのも管野先生です。
当時、映画館でこの映画を観た時、精悍な感じの加藤豪剛さんなのに、ピアノを弾くシーンになると、よく見慣れた、ぽっちゃりとしたお餅みたいな菅野先生の手が映るので、
誇らしいながらも、何だか可笑しくて、
一緒に観た友人とクスクス笑ってしまったのを今でもよく覚えています。



菅野先生は1983年に44歳という若さで病気で亡くなってしまいました。
豪快なお人柄で、大きな才能に恵まれ、
よい仕事をたくさん残し、愛するご家族にも恵まれ、多くの人に愛され、
太く短く生きられたのだと思いますが、
もっと長生きをされたら、どんなにか素晴らしい作品をたくさん残されたのだろうと思うと、
残念でなりません。
それ以上に、菅野先生に会えないのが淋しくてなりません。
魅力に溢れた大好きな先生でした。

ヤマハぷりんと楽譜で映画版「砂の器」のスコアが発売中なのを知りました。
手書きの楽譜だそうですが、菅野先生のお手によるものでしょうか?
あ、きっと違いますね。
昔は楽譜制作ソフトがなかったので、手書きで楽譜をお清書することも多かったのです。
プロの写譜屋さんは、それはきれいに味のある楽譜を書いたものでした。
楽譜ご紹介のところに、菅野先生のコメントが写真入りで載っていて、
私は懐かしくて涙が出そうです。
近いうちにお墓参りに行きますね。
ヤマハぷりんと楽譜:映画「砂の器」宿命
by harukokawaguchi | 2011-09-17 02:30 | 音楽 | Trackback | Comments(5)
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Commented by non at 2011-09-21 23:08 x
はーちゃん 
私は直接ご指導を受けていませんが、いつもスーツ姿のピアニスト
菅野先生のお姿を思い出しました。ちょっと怖かった・・・
あの小さな手・・・・
こんなに 感情豊かな演奏・・・
先生の年齢をとっくに追い越した生徒達は ガンバッテいますよ!
先生は若いままですね。
Commented by harukokawaguchi at 2011-09-22 01:08
NONちゃん、コメントをありがとう!
写真の菅野先生は、本当に今も若いままですね。

直接習っていなかったNONちゃん達には、菅野先生はちょっと怖い感じに見えたのかもしれませんね。
偉大だった菅野先生のことをこんな風に言っては失礼ですが、本当は可愛いところもあったんですよ~
私はスーツ姿の菅野先生よりも、夏の半ズボンにポロシャツ姿の先生をよく思い出すんです。
お茶目だった先生・・・(笑)

小さな手でしたが、あんなに美しい音を出せるピアニストはそうはいません。
美しい声のことをよく玉を転がすような・・と言いますが、菅野先生のピアノの音もそんな感じでした。
私は今でもしょっちゅう菅野先生のことを想い出していますよ~。

楽譜も発売になったことだし、ピアノ協奏曲「宿命」が再び多くの人の耳に届くといいなあと思っています。
Commented by はにまる at 2014-05-29 10:30 x
菅野光亮氏に浜松で指導を受けていた輩です。久しぶりに恩師を思い出させてくれるブログに出会い、懐かしく思っています。
『砂の器』の作曲当時から「お前、このメロディ、聞いたことあるか?」などと、あの旋律を弾いてくれたりしていたことがありました。
とてもすばらしいピアニストであり、作曲家だったと思います。
川口さん、菅野光亮氏を思い出させてくれてありがとうございます。
Commented by gypsypapa at 2017-05-27 18:24 x
昔、中央線の国分寺駅南口から線路沿いを新宿に向かって7~8分歩くと「アレキサンダー」というジャズクラブがありました。
ビルの狭い階段を上ると小さな受付窓、右手には厨房が。

重い扉を開けると右手に5~6人座れるカウンター席、左手に15人ぐらい座れるボックス席。
そこに座って正面に向かって3段ぐらい階段を降りたところから右側にボックス席と左側にテーブル席が並ぶ
フロアがカウンター沿って長方形のように続いていました。

その奥にはベルベットの濃いあずき色のカーテンが重厚な雰囲気を醸し出し、正面右手にグランドピアノがあり、
トリオ、クインテット、ジャズ歌手など毎夜大人の夜を楽しむ素敵な演奏が繰り広げられていました。
演奏の合間にはミュージシャンがなじみのお客さんと一緒に飲んだり話をしたり和やかないいお店でした。

浅野さんというマスターのつながりで当時活躍していたり、往年のプレーヤー、若手などいろんなジャズミュージシャンがライブをしていました。
そのなかで菅野充亮さんは二週に一度ぐらい定期的にピアノトリオで出演していて、
それはそれは素敵な演奏を披露していました。力強い澄み切った音色で繊細なタッチの強弱、早いテンポの曲でのヴォイシング、
細かなトレモロ、毎回の演奏に必ず客席からのリクエストで「砂の器」を感情を込めて演奏していました。
豪快で繊細な人柄をすべてピアノに込めた演奏は毎回これだけの人数で聞くにはもったいないと感じるほど、人を魅了するものでした。

曲と曲の間にはピアノの上に置いたグラスを片手に近くのテーブルの人と話したり、次の曲のベースとドラムの打ち合わせを笑顔で話していました。
演奏の合間にはマスターと飲んだり、客席を移動してなじみと話したり、作曲の話や、若い頃の話、砂の器の裏話など人懐っこい笑顔で人を笑わせていました。
家が近かったせいか、演奏がないときもぶらっと立ち寄り、時には飛び入りで当日の出演ミュージシャンとジャズセッションをしていました。

ウィスキーの水割りが好きでよっぽどアレキサンダーのお店の居心地がよかったのか閉店時間を過ぎてまでもよく飲んでいました。
若いころ柔道をやっていたと聞いたときは驚いたものです。
Commented by gypsypapa at 2017-05-27 18:28 x
続きです。

そのお店に来ていたジャズ好きの仲間がマスター、菅野さん、ほかのミュージシャンを加えて全部で50人ほどのジャズ愛好会を作り
月1回の定例会、忘年会、新年会、メンバーの自己紹介、奥多摩への一泊旅行など盛りだくさんのイベントで菅野さんもよく参加していました。

菅野さんがヴォーカルの鈴木さんをお店に連れてきて定期的に歌うようになり、時々菅野さんのトリオの演奏で歌うときは味わいのある歌声が
心地よくうっとりしたものです。

マスターの浅野さん、菅野さん、鈴木さんは仲が良くよく飲み、笑い、周りで飲んでいる人たちもつられて思わず笑ってしまうような雰囲気がありました。

菅野さんとはなぜか馬が合い奥のボックス席で一緒によく話しました。時々、帰り道の途中であった菅野さんを家まで送って行ったり、時には泊めてもらったり、
レコードをたくさんもらったりしました。

ある日菅野さんの訃報を聞きそれからはアレキサンダーに行く気持ちになれず足が遠のいてしまいました。
続いてヴォーカルの鈴木さん、少し時を置いてマスターの浅野さんも亡くなり、菅野さんが寂しくて二人を呼んだんだなと思っています。

アレキサンダーはその後まもなくお店を閉めてしまいました。

遠い昔の楽しかった日々を辿ってみました。
時々ふと菅野さんが息子さんと娘さんのことを話していたことを思い出し、きっと音楽の世界で活躍しているのだろうと思っています。

菅野さんへの哀悼の意を込めて。


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